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Datsun 240Z 1971(ダットサン 240Z 1971)4 プロ ソフトン-A使用

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写真: Datsun 240Z 1971(ダットサン 240Z 1971)4 プロ ソフトン-A使用

写真: 今日アップした、2台を追加したディスプレイケース 写真: Datsun 240Z 1971(ダットサン 240Z 1971)3

Datsun 240Z 1971
ダットサン 240Z 1971

DeAGOSTINI RALLY CAR COLLECTION 17
隔週刊ラリーカーコレクション 17

1971年サファリ・ラリーで準優勝した、
ドライバー、エドガー・ヘルマン、
コ・ドライバー、ハンス・シューラ―組が使った、
ダットサン 240Zを再現したモデルです。

ダットサンのブランド名で、海外での名声を高めた日産は、
1958年に当時、世界最長のラリーだった、
オーストラリア大陸を一周の1万6000kmを走る、
この回で中止された「第6回豪州ラリー」に2台のダットサン210を出場させたのが、
日産が初めて出場した国際ラリーだった。

そして、1963年からは第11回目のサファリ・ラリーに出場を開始した。
最初はブルーバード1200(P312型)と、セドリック(G31型)だったそうです。
そして、1966年の時にブルーバード1300SS(411型)でクラス初優勝を成し遂げます。
1969年には、ブルーバード1600SSS(P510型)で、クラス優勝、チーム優勝を成し遂げます。

そして遂に1970年に前年と同じブルーバード1600SSS(P510型)で、
総合優勝、クラス優勝、チーム優勝をし、サファリ・ラリーの完全制覇を成し遂げました。
これにより、日産はサファリ・ラリーを初めて制した日本メーカーとなった。

そして、翌1971年に1969年に販売を開始した、
S30/31型の初代フェアレディ Zの「Z240(HS30型)で初参戦します。
途中まで、ワンツー体制だったポルシェ・チームが遅れたため、
3番手を走っていたエドガー・ヘルマンが前年に続き、
サファリ・ラリー2連覇を成し遂げた。

この時に同じチームのシェカー・メッタは、2位に入ったが、
色々と不満があったらしく、非難し激怒し、
その後何年にもわたって、負けた悔しさを周囲に話していたらしい。
けれど、1973年に遂にシェカー・メッタは、
サファリ・ラリーでZ240を使い、総合優勝を成し遂げた。

その後、シェカー・メッタは、
1979年、翌1980年は、バイオレット160J(PA10型)で、
さらに翌1981年、翌1982年は、バイオレットGT(PA10型)で、
サファリ・ラリー4連覇を達成し、日産ラリーチームの伝説的なドライバーとなった。

なお、日産は1991年からWRCにも参戦を開始しますが、、
1992年にパルサーGTI-R(N14型)で出場したのを最後にWRCから撤退しました。

プロ ソフトン-Aを使って撮影してみました。
そして、台座からも外しています。

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