ヘルプ

2021_0802_080656 B線区急

写真: 2021_0802_080656 B線区急

写真: 2021_0810_081828 5列車同時撮影 写真: 2021_0802_080617 B線区急

万博のあッた昭和45年頃、大阪側の複々線は守口市まででした。
ラッシュ時の大阪方面は、
京都三条始発で大阪府下では樟葉・枚方市・香里園・寝屋川市に止まる急行が、京都府、枚方市。寝屋川市の乗客を、
樟葉・枚方市始発で寝屋川市まで各駅に止まる準急が枚方市・寝屋川市北部の乗客を、
枚方市・香里園・萱島始発で守口市まで各駅にとまる区間急行が寝屋川市・門真市・守口市の乗客を
そして守口市始発の普通が守口市と大阪市北東部の乗客を運ぶという棲分けになっていました。
守口市から大阪寄りは複々線だったので、急行・準急・区間急行はスムーズに走れました。
この時期、門真市あたりまでの開発はほぼ飽和し、さらに郊外の寝屋川市・枚方市の人口が爆発的に増え、急行と準急の増発が急務となりましたが、守口市〜萱島間の線路容量が限界で増発がままならない状態でしたので、複々線工事(同時に高架化)が行われ昭和55年に竣工しました。これにより樟葉・枚方市発の準急が増発され新たに樟葉始発の急行も増発されましたが、今度は守口市〜京橋間のA線の容量がネックになります。萱島より京都側から来る急行・準急が大増発されてA線を独占したため、萱島から守口市間のB線でお客を拾ってきた区間急行が守口市でA線に割り込みにくくなってしまいました。
このためラッシュのピークにはA線への割り込みを諦めそのままB線で通過運転を行う区間急行ができてしまいました。ただ元来普通列車用のB線なので前の普通列車に追いつかないように速度は控えめで、走りながら急行や準急に抜かれてしまうケースも多発しました。複々線化当初から8時前後にこのような列車が4〜5本ありましたが平成も後半になると少子高齢化などで乗客は減少に転じ、ラッシュ時の運転本数が徐々に減少しB線素行だった区間急行も徐々にA線に割り込めるようになって、現状ではこの1本だけとなっています。

お気に入り (9)

9人がお気に入りに入れています

コメント (9)

コメントするにはログインが必要です。フォト蔵に会員登録(無料)するとコメントできます。