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16.03.28.六義園/柳沢松平家下屋敷(文京区本駒込)

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Photos: 16.03.28.六義園/柳沢松平家下屋敷(文京区本駒込)

Photos: 16.03.28.六義園/柳沢松平家下屋敷(文京区本駒込) Photos: 16.03.28.六義園/柳沢松平家下屋敷(文京区本駒込)

染井門。



mixiアルバム「六義園/柳沢松平家下屋敷(文京区本駒込)」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000098867752&owner_id=32815602
2016年03月29日 23:08

16.03.28.
●六義園――
りくぎえん。
元禄8 (1695)年、 柳沢吉保は駒込の加賀藩下屋敷跡地を、5代綱吉より拝領。
柳沢吉保は、約2万7千坪あるこの地を自ら設計、指揮し、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げた。
元禄15 (1702)年、庭園と下屋敷が一通り完成すると、以後 綱吉のお成りが頻繁に行われた。その回数は記録されているものだけでも実に58回にものぼり、吉保の寵臣ぶりと、この庭園が当時 天下一品とも評されていたことが窺える。

六義園は、小石川後楽園とならび江戸の二大庭園と数えられた。
六義園は、吉保の文学的造詣の深さを反映した繊細で温和な日本庭園と評される。
まずその名称は、古代中国の漢詩集「毛詩」の「詩の六義」、“風・賦・比・興(きよう)・雅・頌(しよう)”という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来している。
庭園は、中之島を有する大泉水を樹林が取り囲み、紀州和歌の浦の景勝や和歌に詠まれた名勝の景観が八十八境として映し出されている。

六義園は幕末まで柳沢家の下屋敷として使用された。時代が下るにつれ徐々に荒れていったようだが、江戸を襲った度々の大火で類焼することなく明治を迎える。
明治初め、岩崎弥太郎の所有となる。維新後荒れたままになっていた庭園が整備され、このとき周囲が赤煉瓦の塀で囲まれた。
昭和13(1938)年、東京市に寄付され、一般公開されることになった。
昭和28(1953)年、国の特別名勝に指定。

http://photo.mixi.jp/view_photo.pl?photo_id=2101141105&owner_id=32815602


行こう行こうと思い立ってから6年の月日が流れもうした<(≧ω・)

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