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加納城(岐阜市営 加納公園)天守台

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写真: 加納城(岐阜市営 加納公園)天守台

写真: 加納城(岐阜市営 加納公園)天守台 写真: 加納城(岐阜市営 加納公園)公園北口

――mixi記事コピペ――2016年06月25日 21:26

16.06.15.
前身、沓井城
築城年、文安2(1445)年
築城主、土岐氏家宰 斎藤利永
城主、斎藤氏
廃城年、不詳(天文7(1538)年には廃城となっている。)

築城年、慶長7(1602)年
築城主、奥平信昌
城主、奥平氏、戸田松平氏、安藤氏、永井氏
廃城年、明治4(1871)年
遺構、石垣・堀跡。
江戸幕府幕藩体制下、加納藩藩主居城。
国指定史跡。

関ヶ原合戦後、天下普請により築城された。縄張は家康自ら(説)、奉行は本多平八郎。

構造──
(→wiki)加納城は2重の堀をもつ、南北に細長い城(南北約600m、東西約300m)であり、城の大手門は北側にあり、中山道に面し、大手門前で屈曲する構成となっていた。内堀は本丸を取り囲む形で配置され、外堀は、荒田川(東側)、清水川(北側)、長刀堀(西側:現在の加納長刀堀(かのうなぎなたぼり))、加納中学校付近に南の外堀があった。主要な部分は本丸を中心に、東に二ノ丸、北に厩曲輪・三ノ丸、南に大藪曲輪があった。この城の石垣には加工するにはあまり適さないチャートが使われている。

城下町・加納は、東に配置されたm(_ _)m武家地と、北側にある中山道53番目の宿場である加納宿。

本丸は方形をなし、そこから外枡形が突出している。これは初期徳川系城郭の特徴のひとつで「加納城型」とも呼ばれている。
『加納城修理絵図』には、本丸北西隅に天守台、北東、南東、南西の隅に2重の隅櫓、南西隅櫓と天守台の間に二重櫓が1棟が描かれている。
天守は上げられず、代わりに二ノ丸北東隅に御三階櫓が建てられていた。(←)

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