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麟祥院(文京区湯島)

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写真: 麟祥院(文京区湯島)

写真: 麟祥院(文京区湯島) 写真: 根津神社(文京区根津)根津裏門坂

――mixi記事コピペ――
麟祥院 ・春日局(斎藤福)/哲学館
2011年07月28日 21:54

2011.02.21.
●天沢山 麟祥院――
臨済宗妙心寺派。
開基は春日局。功名をとげた福が、幕府の恩恵に報いるために本郷湯島に寺院を建立しようと思い立ち、これを知った将軍家光が、願いをかなえるために本郷湯島の土地を寺地として贈った。福は報恩山天沢寺と名づけている。
寛永7(1630)年、渭川という高僧を新しく住職として迎え、改めて春日局自身の菩提寺とした。
寛永11(1634)年、渭川和尚から法号をおくられた。
これを喜んだ家光は、法号をもって寺号とするように命じ、天沢山麟祥院と号するようになった。

●春日局――
天正7(1579)年〜寛永20年9月14日(1643年10月26日)。
本名は斎藤福(さいとう ふく)。
父は美濃の名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で、明智光秀の重臣であり従弟である斎藤利三である。
母は稲葉一鉄の娘、稲葉あん。小早川秀秋の重臣、稲葉正成の妻で、正勝、正定、正利の母。養子に堀田正俊。江戸城大奥の礎を築いた人物であり、松平信綱、柳生宗矩と共に家光を支えた「鼎の脚」の1人に数えられる。
また、朝廷との交渉の前面に立つ等、近世初期における女性政治家として随一の存在であり、徳川政権の安定化に寄与した。
福の江戸城での生活には諸説多く(特に家光周辺)、テレビドラマで多種描かれる通り、全体的な生涯は国民に知られるイメージの通りですので、多くを書くことは控えます。
春日局という名前は後水尾天皇から頂いたもの。


・東洋大学発祥。

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