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13.12.12.霞ヶ城跡(下諏訪町)

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写真: 13.12.12.霞ヶ城跡(下諏訪町)

写真: 13.12.12.霞ヶ城跡(下諏訪町) 写真: 諏訪大社 下社秋宮(下諏訪町)神楽殿

mixiアルバム「霞ヶ城(下諏訪町)」
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000088056010&owner_id=32815602
2013年12月14日 13:11
(城郭放浪記さま┌(_ _)┐)
築城年、治承年間(1177〜1181年)頃
諏訪大社下社秋宮の南側、山王台に築かれる。
遺構はまったく残っていない。いまホテルの建つこの丘に城郭があったようだ。
築城主、手塚太郎光盛(金刺光盛。下社大祝 金刺盛澄の弟)

文明年間(1469年〜1487年)頃、諏訪氏は惣領家と大祝家に内訌が勃発。
文明15(1483)年、大祝 諏訪継満は、惣領家の満政と嫡子 宮若丸等を上社の神殿に招き、饗応中に不意をついて謀殺し、祭政二権を得ようと画策する。これに呼応するように下社の金刺興春が挙兵し、高島城(茶臼山城)を占領、桑原・武津に放火して上社を攻撃した。しかし、上社方の矢崎・千野・小坂・福島らと宮の腰で戦い金刺興春は討ち死、下社の社殿を焼かれるなど大敗を喫した。
その後、争いは続き、永正15(1518)年、諏訪頼満が萩倉の要害を落とし、興春の孫 昌春は甲斐守護 武田信虎を頼って落ちた。

八幡社の小山と山王閣の丘はかつてはつながっていたらしい。道はなかった。

北の山には桜城がある。


巡回マップ→ https://drive.google.com/open?id=1szYFJmzPavAqrh-vwWlslTX600Q&usp=sharing

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