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京極丹後守屋敷跡(墨田区江東橋5丁目)

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写真: 京極丹後守屋敷跡(墨田区江東橋5丁目)

写真: 12.06.14.菊柳橋西詰・橋より南(墨田区江東橋・立川・菊川) 写真: 12.06.14.山名靱負上屋敷跡(墨田区江東橋5丁目)

先と同じ位置。



mixiコメント 2012年06月15日 00:09
●「京極丹後守」――丹後宮津藩京極家 →高知流京極家。
(京極高吉次男。2代と3代で争いがあり改易。以後、高家として存続。)
京極高知、初代藩主
京極高広、2代藩主
京極高国、3代藩主
京極高福(高知 - 高広 - 高国 - 高規 - 高甫 - 高本 - 高厚 - 高以 - 高正 - 高福。生没年不明)


2013年02月25日 11:53
※京極高知――
京極宗家16代 高吉の次男。高次は兄。
京極丹後守家。丹後京極家。高知流京極家。
従四位下・侍従、丹後守。
羽柴姓を賜っており、通称「羽柴伊奈侍従」。
秀吉時代は信濃国飯田6万石。
家康時代には丹後12万3000石。
領地は嫡男 高広、三男 高三、甥で婿養子の高通の3人に分配した。

・高知流本家、嫡流――宮津藩7万8000石。3代目に改易。国持が…。

・高三流京極家、豊岡藩京極家、京極豊岡家――田辺藩3万5000石。
3代高盛、丹後国田辺より但馬国豊岡3万3000石へ転封。7代高永より1万5000石(継嗣問題。早逝相次ぐ家系)。

・高通流京極家、峰山藩京極家、京極峰山家――峰山藩1万3000石。
幕末まで転封なし。父の遺領丹後国にて、一部とはいえ守り続けた。若年寄を多数輩出。譜代格。


※京極高槻――
たかのり。高知は曽祖父。京極丹後守家。丹後京極家。高知流京極家。高知流本家。4代。
寛文6(1666)年5月、3代高国 改易。藤堂高次に預けられる。扶助料3,000俵を賜る。
延宝8(1680)年9月、赦免。母方の実家、伊達領 常陸竜崎に暮らす。
元禄3(1690)年8月、旗本になる。蔵米2,000俵。寄合所属。
元禄8(1695)年12月、高家職就任。


※京極高福――
天保3(1832)年閏11月5日、家督相続。
嘉永3(1850)年10月28日、高家職就任。従五位下・侍従・丹後守叙任。
慶応4(1868)2月22日、明治新政府に服属し、朝臣となる。


2013年07月09日 11:04
いずれかの時代に、安房国内に1500石の所領となっている。
(←元禄3(1690)年蔵米2,000俵)

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